ファビオは時間厳守の青年である。彼のエピソードは前にも書いた。7時に家に来て、と言えば、その5分前には玄関先に現れ、7時になる瞬間をそこで待っている。そして時間ピッタリにチャイムを鳴らす。一般的には自閉症に分類される行動様式を確かにいくつか持っているけれど、これは彼の個性である。コンピュータを友として21年間の大半を自室で過ごしてきたこの青年を、太陽の下に引っ張り出してきたのは、幼馴染み同い年のジョルジョだ。今では復活祭の食事会なんかにもファビオは来られるようになった。ワインでいい機嫌になった近所のおじさんたちから話しかけられると、気を付けみたいな直立不動で、ちょっとぎこちない笑顔を頬に貼りつけて受け答えしている。そんな様子にジョルジョが少し離れたところからチラッと目をやる。
ジョルジョは大学で栄養学を専攻、「食」を学んでいる。今年卒業だ。大きくなったね。初めて会った時はまだ小学校に上がる前だった。今、こうしてファビオを思いやるジョルジョもいろんなことを経験してきた。10年ほど前、婚約中の姉のシモーナが筋無力症を発症した。心配のあまり一晩で髪が真っ白になってしまった父親のジュゼッペ。病院に泊まり込み、献身的に看病にあたった婚約者のルカ。長い入院生活を経て、シモーナに後遺症は残ったけれど、ルカは何一つ変わることなく、ふたりは病気を乗り越えて結婚した。まだ少年だったジョルジョが、そこで胸に刻みこんだことがあるのかないのか、そんなことは僕にはわからない。ただ、誰もが多かれ少なかれ心や身体にハンディキャップを抱え生きているということ、ジョルジョはパン屋への道筋にさえ無数にころがっていそうなそんな小石を、涙が出そうなほど美しく橙色に染まったいつかの夕焼けの空の下、見つけたのかもしれない。
最近は欧州危機の渦中でイタリア経済が低調、しかも増税の追い討ちもあって、なんとなくイタリア人がすべてに投げやりになっているように見えることがある。いや、実際にそうなのだ。イタ雑関連の取引の上でも、数量やカラー、そして価格の間違いが頻発している。梱包が雑になったのも目に余る。そんなこんなで僕の中に巣食う「イタリア人なんて!」モードも全開で、坊主憎けりゃ袈裟まで……状態が続いている。話は逸れるけど、1ユーロ/110円前後の円高の今でさえ、アウトストラーダのサービスエリアで給油すると、リッター200円を超える。ガソリン価格が高騰すると、他の製品の価格や輸送費なども確実に上がる。タッケーなあ、とブツブツ言いながら暮らしている。
そんなイライラが募る中でも、ファビオやジョルジョの姿を目にすると束の間ホンワカとした気持になれる。なんていうのだろうか、例えばジョルジョのファビオに対する距離の取り方なんてほんとに絶妙だ。始終連絡を取り合うわけでもなく、会ったところでベタベタとくっついているわけでもない。それでも見て見ぬふりの素知らぬ優しさはまぎれもなく友達のそれだ。パソコンでトラぶったジョルジョが電話をすると、ファビオはいそいそとやって来る。そして今日も約束した時間ピッタリになるのを玄関の前で待って、そこでおもむろに正しい姿勢でチャイムを鳴らす。いいぞ、ファビオ。頑張れ。
人には誰も、抱えて歩いて行かなければならない荷物がある。捉えどころのない孤独でさえ大きな荷物だ。空身で何の屈託もなく、なんていうのはあり得ない話だろう。それをお互いが了解し、そこにささやかな想像力が働きさえすれば、関係を繋ぐものは速射砲のように繰り出される電子メールでもなく、そこに踊るストックワードの羅列ってことでもないだろう。繋がるっていうのはそんなことじゃない。長針が文字盤の12の位置に重なる時に、時々ファビオを思い出せること、こっちの方がずっといい。
イタリア自動車雑貨店 太田一義