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独特の目線でイタリア・フランスに関する出来事、物事を綴る人気コーナー
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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYA

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フィレンツェのメンズファッション見本市「ピッティ・イマージネ109」の「FHストア」で。20261月撮影。

 

■愛車を失った代わりに夢を実現

世界屈指のメンズモード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」。年2回イタリア・フィレンツェで開催されるこのトレードショーは、紳士ファッションの行方を占うものとして知られている。日本の有名百貨店を含め世界のバイヤーが訪れることでも有名だ。主に2026/27年秋冬モードが展開された20261月の第109回は、758の出展者と19千人近いビジターで賑わった。

 

出展社のひとつ「FHストア」は、ずばり古き佳き時代の4輪・2輪にインスパイアされたファッションアイテムを扱うショップである。栄枯盛衰が激しいこの世界を反映し、ピッティでは少し前まで大きなブースを構えていたブランドでも忽然と姿を消えていることが珍しくない。そうしたなか「出展19年目」と、社主のマッシモ・ロニグロさんは胸を張る。

 

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FHストアは1970年代のモータースポーツ・シーンを反映したアイテムのショップ。

 

1960生まれの彼は、自動車レースが最も輝いていた1970年代に青春時代を送った。続く80年代はデザイナーとして服飾界で経験を積んだ。仕事の傍らで、モータリングライフもおおいに謳歌した。「二輪はBMW、ドゥカティ、カワサキ。四輪はBMW、ポルシェ、そしてメルセデスといったブランドをひととおり楽しんだよ」

 

みずからのショップを開いたのは2007年のことだった。「開業資金を調達するために(ポルシェ)964カレラ2カブリオレを失ったけどね」とマッシモさんは笑う。当初はガルフ、ホイヤー、ル・マン24時間レースなどにちなんだアパレル製品を扱っていたが、後年自らプロデュースするレトロ風情溢れるヘルメットの限定販売も始めた。

 

オリジナルブランド「ヴィンティッジ・レースFHイタリア」は「私自身のヒストリックカーおよびヴィンティッジ・バイクへの情熱の投影」と語る。デザインはすべてマッシモ氏本人が監修している。他社の多くが低コストを追求し生産を東欧など国外に移行するなか、すべてイタリア国内で行い、各アイテムは200500点という厳格な限定数を守っている。

 

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牛革製バッグは280590ユーロ。

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エイジング&ディストレスト加工が施されたジャケット。以下、多くは来シーズンのものなので価格は問い合わせのこと。

 

今回のピッティで彼が強調していたのはグローブ、つまり手袋のコレクションだ。世界的アパレルブランドの製品も手がける専門工房に発注したもので「197080年代のポルシェ車のシートに使用されていたのと同じテキスタイルを使った」とマッシモさんは説明する。その生地は手袋だけでなく、ヘルメットの内張りやキャップにも。さらにパターンはシルクのスカーフにも反復されている。ラムレザーを用いたジャケットもイタリア国内において総手縫いで仕立てられている。

 

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主宰するマッシモ・ロニグロさんは2026年で66歳。

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往年のポルシェのテキスタイルを再現したグローブ。

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スカーフにもパターンが反復されている。

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こちらのスカーフには、往年のレースにおける名シーンがプリントされている。

 

■ほろりとさせるレター

そうした彼のブースでグリーンのバルケッタが映った1枚のチラシを発見した。何かと聞けば、マッシモ氏は「映画ですよ」と教えてくれた。『ローラ・バム 心の機械仕掛け Lola Bum La meccanica del cuore』と題したイタリア映画で、ストーリーは筆者が住む中部トスカーナを舞台にした、ほろ苦いコメディだ。そういえば地元では2025年秋、劇中に登場する看護師、修理工場のお客、レースのコミッショナーといったエキストラが募集されて、ちょっとした話題となった。インディーズではあるが、この作品にヘルメットをはじめ小道具を監修・提供したという。公開は2026年中が予定されている。

 

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2026年公開予定の映画『ローラ・バム 心の機械仕掛け』のチラシ。

 

いっぽうで筆者は、商品に添えるためマッシモさんがしたためたレターも発見した。

「弊社製品をお選びいただき、ありがとうございます。

私たちは20年間、人々の感情を揺さぶる象徴的な製品を探し求めてきました。

伝説の70年代の思い出と感情。

あなたが選んだ靴は、1970年代に有名なシチリアの職人によってクレイ・レガッツォーニや ジョー・シファート(シフェール)、ニキ・ラウダ、そしてエリオ・デ・アンジェリスなど当時の有名ドライバーのために手づくりされた有名なドライビングシューズからインスパイアされています。

このブラウン、とりわけコニャック色は名門レース、タルガ・フローリオで1970年にジョー・シファートが履いていた靴から着想を得たものです。ガルフ・カラーの伝説のポルシェ908を操縦したときです!

ヴィンティッジカーを操縦するときも、ヴィンティッジバイクを操るときも......幸運をお祈りします。

FHストア  イタリア」

 

商品を受けとったカスタマーの笑みが目に浮かぶフレーズではないか。通販が日常生活において通常の消費行動となったなか、逆にこうしたエンスージアスト泣かせのフレーズは顧客の心をしっかりとつかむに違いない。

 

ピッティ期間中、マッシモさんのブースの目的は当然新規の取引先を開拓することだ。しかし、クルマ好きのバイヤーや同業他社の人にとって憩いの場にもなっている。次は6月。どのように栄光の70年代を“切り取って”見せてくれるのか、今から楽しみである。

 

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クルマ好きの涙を誘うフレーズ。

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オリジナルブランドは自身の店のほか、ザルツブルクやモンテカルロなど国外を含む15都市のパートナーでも展開している。

FH Store https://fhstore.it/


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文・写真  大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

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いつから置かれているのだろうか、2009年登録のフィアット500

 

■ルノー・クリオ、ご難

ルノー・クリオ(日本名ルーテシア)の部品盗難がフランスで頻発している。2025年後半から現地メディアによって次々報じられている。狙われているのは、クリオ5といわれる5代目モデルだ。路上や駐車場に置かれた車両だけでなく、車庫で保管されていた車も被害に遭っている。

盗まれた部品の多くは、インターネットを通じて販売されている。「アクテュ・ポワン・エフェンヌ」紙電子版によると、リヨン南郊サンテティエンヌでは2ヶ月に2回部品を盗まれてしまった不幸なクリオ5オーナーもいた。また、フランスの主要テレビ局TF1は、リアシートを盗まれてしまった所有者を報じている。

クリオ5の部品盗難が相次ぐ理由はきわめて簡単だ。同車はフランスにおける最多販売車種のひとつだからである。2025年に10万0101台を記録し、2位プジョー208の7万3092台を大きく引き離した。

ドアミラー、ヘッドランプなど損傷しやすい部品と、リアビューカメラ、タッチスクリーンなどの人気アクセサリーが狙われやすいという。いずれも純正品は高額なため、中古品をインターネット検索するユーザーが多いことも、犯罪を助長している背景にあるとみられている。

いっぽう今回読者諸氏にご覧いただくのは、希少な車が数々放置されているにもかかわらず、意外にも荒らされていない、奇跡的な駐車場である。


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ルノー・クリオ5最終型(向かって左)20257月、イタリア・シエナ市内の販売店で撮影。



■空きが目立つパーキングにあった車たち


場所はイタリア北部の一都市にある公共駐車場だ。スロープをともなった立体式で、屋上まで含めると6層になっている。収容台数は630台である

2025年初夏、偶然訪れた筆者が建物内に入った瞬間に感じたのは、観光地として誰もが知る街でありながら、妙に空いていることであった。同時に驚いたのは、長いこと動かされていないと思う車が次々と現れたことであった。

筆者が車を駐めようとした階にあった赤いフィアット500(312)は、ナンバープレートからして2009年登録である。埃のかぶり方からして、昨日今日に置かれたものではないことは即座に想像できた。他階も含め場内を回ってみると、メルセデス・ベンツEクラス(W124)をはじめ、ちょっと古い高級モデルが何台も置かれている。500と同様に埃まみれであると同時に、気がついたのは、いたずらされた跡がほとんど見受けられないことだった。


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メルセデス・ベンツEクラス W124の後期型。スリーポインテッド・スターは失われているが、それはイタリアで当たり前の光景である。


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新車時代から希少だったアルファ・ロメオ166もあった。

愛好家にとってはコレクターズアイテムになりそうなヒストリックカーも発見できた。古い英国ナンバーが付いたMG MGB1968年モデル以前の初期型ランチア・フルヴィア・ベルリーナといった車たちである。最も驚いたのは、1967年登録と思われるデイムラーV8 250だ。本場英国でも生存台数約1000台といわれる希少モデルである。


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新車当時はジャガー・マーク2の姉妹車だったデイムラーV8 250

どうして駐車場がこうした状態になったのか。まず、なぜガラガラなのかについては、後日さまざまな資料を読むうちに判明した。一言でいえば計画のずさんさと立地のひどさだ。市街地の駐車場不足問題を解消するため、州および市が巨額の費用をかけて建設して2006年に開業したこの施設は、実は新交通システム構想と一緒だった。車を置いて街に行く、いわゆるパーク&ライド用というわけである。しかし、肝心の新交通システム建設開始の具体的目処は、いまだ立たない。駐車場のほうが先にできてしまったのである。

市街地との距離は2.5キロメートル。歩くと優に30分を要する。“陸の孤島”から脱出するには従来の路線バスに頼るしかない。しかも駐車場の営業時間が24時間ではなく朝6時30分から夜の9時までと限られているところも、人々から敬遠される理由になっているのは間違いない。観光地における売りのひとつであるナイトライフを楽しむには、まったく使えないのである。


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MGBは錆が結構浮いている。


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MGB。英国ナンバーが付いた右ハンドル仕様である。


■“名車”が集まってしまった背景

次に、なぜヒストリックカーが滞留してしまうのかについて考えてみた。第一の理由は料金が11ユーロ(185)と、今日破格ともいえる料金であることだ。年間料金も設定されていて、こちらも350ユーロ(65千円)だ。

屋根付き・場内監視カメラ付きであるうえ、郊外ゆえいたずら目的の輩が市街地より少ないのも保管に好都合なのだ。また、本連載第45「なぜ廃車に惹かれるのか」に記したように、放置車に関する行政対応が追いつかないことも背景にあるのは明らかだ。追いつかない以上に対策に着手しにくい雰囲気なこともあるだろう。前述のように格安料金ゆえ、明日オーナーが帰ってきて(さすがにジャンプケーブルによる始動は必要そうだが)エンジンをかけ、料金を精算して去ってゆくことだって有り得るのだ。

車種に趣味性が高いのには理由がある。伝統的に一帯は繊維や家具工業を基盤とした、イタリア屈指の豊かな都市だからである。

もちろん、盗難車などの事件性が皆無とはいえないだろう。さらに、オーナーが維持しきれなくなって捨ててしまったとも考えられる。屋外で雨ざらしにするよりも、心が傷まないに違いない。もしくは、病院の駐車場でよくあるように、持ち主に放置の意図はなかったのだが死去してしまった、というケースも考えうる。オーナー本人とは対照的に車に関心がない家族−−イタリアではよくあることだ−−が、ここに生前の愛車があることをまったく知らないといった場合だってあろう。


冒頭のルノー・クリオのような部品盗難は由々しき問題だ。だが、このようにほぼ無傷で放置されてしまった高級車も、筆者にさまざまな物語を想像させてしまい困るのである。


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ランチア・フラヴィア・ベルリーナ。被せておいたカバーが強風で飛んでいまい、ロープのみが残ったのだろうか。隣にはメルセデス・ベンツCLKカブリオレが。


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デイムラーV8 250はヒョンデ・テラカンのそばにたたずんでいた。


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文 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA

写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYA

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イタリア中部シエナ県の古い修理工場で。「フィアット124」のリアフェンダーと、奥の壁面にはマニエッティ・マレリのサインが。

 

■花をしおれさせてしまったような

「マニエッティ・マレリ」といえば、イタリア車愛好家にとって懐かしい電装品ブランドであろう。いっぽう近年「マレリ」というと、日本では「経営再建中の」という“枕詞”がついて報道されることが多かったのも、これまた事実だ。

 

おさらいしておくと、マニエッティ・マレリの始まりは1919年にまでさかのぼる。当初の製品は点火プラグへの電源供給装置として永久磁石を使用したマグネトー式発電機で、創業者エルコレ・マレリとフィアットの折半出資だった。本稿の話題である伝統的ロゴの原型も、同年に制定されている。社業は順調に発展。1970年代から90年代初頭のフォーミュラ1にはチームのスポンサーとして積極的に関与した。そのため今もノーズにMagneti Marelliのサインが記されたマシンを記憶しているファンは少なくない。


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1992年のフォーミュラ1「ダラーラF192」の鼻先にも、マニエッティ・マレリのロゴが記されていた。202510月、古典車ショー「アウト・エ・モト・デポカ」の企画展で。

コモンレール式ディーゼル燃料噴射やアルファ・ロメオのセミ・オートマチック変速機「セレスピード」の開発にも大きく貢献した。

 

やがて2018年、フィアット・ブランドを要するFCA(現ステランティス)はマニエッティ・マレリの全保有株を投資ファンドCKホールディングスに売却。同ホールディングスは、先に自社が保有していた旧日産系のカルソニックカンセイ統合し、翌2019年にマレリと社名を変えた。

 

しかしその後、主要取引先であったステランティスや日産の経営不振により、持株会社であるマレリホールディングスの経営環境が悪化した。イタリア国内工場でも従業員の一時帰休に端を発する労働争議が頻発するようになった。とくに1970年にマニエッティ・マレリが買収したキャブレター会社ウエバーの生産拠点であったボローニャ工場における争議は2025年現在も続いている。


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マレリのイタリア国内生産拠点のひとつ、ボローニャ工場。元ウエバーの生産拠点であった。

 

2022年、東京地裁に民事再生法の適用を申請したのに続き、2025年には米国デラウェア州で連邦破産法第11(チャプター11)の適用を申請。ドイツ銀行などの貸付機関グループのもとで再建が決定して現在に至っている。

 

202511月にはインド南部に新研究開発拠点を開設という、久々に明るいニュースが伝えられた。だが、市場的にも地政学的にもダイナミックに変化する近年の自動車業界ゆえ予断は許されない。

 

イタリアの自動車関係者がマニエッティ・マレリの現況を知っているか?というと、“フィアット”の手を離れたことはある程度知られている。だが、投資ファンドが介在したこともあり、最終的に日本を本拠とする企業に渡ったことを知る人は限られている。一般人の間ではなおさらだ。

それでも、車体や修理工場に古いマニエッティ・マレリのロゴが誇らしげに掲げられているのを目にするたび、日本にゆかりある筆者は、もらった花をしおれさせてしまったようで後ろめたくなっていた。

 

同時にいえるのは、日本のメディアがマレリの経営状況を伝えるときは、マレリと社名を変えたときに制定された大きなMの字の新ロゴばかりが映し出されることだ。あの伝統的ロゴは、イタリアでもフェードアウトしてゆくのだろうか?

 

■健在を確認

そのような思いをめぐらせていた折、DIYセンターなどで懐かしいマニエッティ・マレリのロゴ入バッテリーを見かける機会があった。メガサプライヤーゆえ、こうしたアフターマーケット品は、とうの昔に手掛けなくなっていたのかと信じていた筆者としては意外だった。

 

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マニエッティ・マレリのバッテリー。シエナ県のDIYセンターで2025年撮影。

 

店頭に並んでいる商品のラベルをもとに調べてみると、コルツァーニという企業が浮上した。マレリのアフターパーツ部門であるマニエッティ・マレリ・アフターマーケット(現マニエッティ・マレリ・パーツ&サービシーズ)は、イタリアの大手自動車部品卸売業コルツァーニ社とバッテリーの独占販売契約を締結していた。調印は2016年だから、マニエッティ・マレリが旧FCAのグループ企業だった最後の時期である。


今日では、バッテリーだけでなく、モーターオイル、添加剤、灯火用バルブ、そしてワイパーブレードといった製品をコルツァーニと展開している。

 

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このモーターオイルもコルツァーニ社とのプロデュースである。2025年撮影。

 

ついでに記せば、マニエッティ・マレリ・パーツ&サービシーズは、今日でも最盛期の生産拠点であったミラノ郊外コルベッタに本社を置いている。そしてアフターパーツのほか、認定修理工場ネットワーク用の計測・検査機器も展開している。

 

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DIYセンターで。このように他ブランドのバッテリーや商品と並べられて売られていることも。2024年5月。


それらの領域で使用しているのは、コルツァーニとのコラボレーションと同じ、マニエッティ・マレリというフルネームと旧ロゴだ。少なくとも伝統は生きていた。筆者のマレリに対する例の後めたさも、やや収まったのである。

 

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ある刃物研ぎ屋さん。店舗ロゴを考えた人の頭には、きっとマニエッティ・マレリのロゴがあったに違いない。202511月、シエナ県で。


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写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYA/ステランティス

 

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プジョー206シリーズの3台並びを発見。2025年夏。

 

■馬小屋にもスッポリ

イタリア自動車クラブ(ACI)2025年データによると、この国で使われている乗用車の平均車齢は13年である。日本における乗用車の平均使用年数である13.42(2023年。データ出典JAMA)に近い。国内の北部では近い将来、欧州排出ガス基準「ユーロ6」に準拠した車両でないと進入できない都市が増加する。したがって、買い替えのペースはそれなりに進むと思われる。そうした状況にもかかわらず、いまだ頻繁に目にするモデルといえば、「プジョー206」である。

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シエナ旧市街、中世の市壁そばで。2022年春。


イタリアとプジョーの歴史は長い。19世紀末、まだ量産自動車産業が根づく前のイタリアで、プジョーは最初に輸入された外国車のひとつであった。第二次世界大戦後も比較的手頃なブランドとして市場に受容された。そうしたことから今日でも、イタリア人の間では日本でいう輸入車のステイタス感は希薄であり、フィアット、ルノーなどと並ぶポピュラーカーのいち選択肢である。20251月から9月のブランド別登録台数では、フィアット、トヨタ、フォルクスワーゲン、ダチアに次ぐ5位(62,155)と記せば、その普及ぶりがおわかりいただけるだろう。


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シエナ旧市街「教皇のロッジア」近くに佇んでいた206プリュス。2024年春。
 

206について駆け足でおさらいしておくと、そのデビューは1998年9月である。位置づけとしては205の後継車であった。ブランドの故郷フランスにおける2工場(ポワシーおよびミュールーズ)も含む世界各地の13生産拠点で生産・組み立てが行われ、3ドアおよび5ドア・ハッチバックのほか、クーペ・カブリオレのCC、ステーションワゴンのSW、商用車版、さらに地域によっては3ボックス版までつくられた。プジョーはこのモデルの拡販に相当力を入れていたようで、写真で紹介するCMは大きな話題を呼んだ。そして2006年に207が発表されたあとも、206(プリュス)と名前を変え、2012年までカタログに載り続けた。


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206プリュス。ヘッドライトを含め、フロントまわりは後継車である207の意匠に近づけられている。(photo:Stellantis)


イタリアでは35万台以上の206が売れた。人気の理由は、その引き締まったスタイルと同時に、車体寸法にもあった。ハッチバック版の全長3822mm✕全幅1652mmは、後継車207よりも208mm短く96mm狭い。それはイタリアの歴史的旧市街にあるような間口が狭く、奥行きも限られたガレージにも、もってこいだった。好例は、筆者の知人のエレベーター保守・点検業経営者である。彼は元・駅馬車用の厩舎だったという車庫にすっぽり入れられるという理由で、206の商用車版をサービスカーに選んだ。7万キロも無故障で走ったあとセールスパーソンから207を勧められても、「車庫に入らない」という理由で、ふたたび206(正確には206)を購入した。


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今見ても、小股の切れ上がった良いデザインである。2025年夏撮影。


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2002年のディーゼル仕様。2019年秋。


■異国の生活応援モデル?

生産終了から2025年で13年。それでもインターネット上を閲覧すると、206の愛好会やフォーラムがすぐに見つかり、活発な活動ぶりがうかがえる。

念のため、欧州の著名中古車検索サイト「アウトスカウト24」で206の在庫を調べると、イタリア国内には本稿執筆時点で277台がイタリア国内で売りに出されていることがわかった。2002年・走行31km500ユーロ(約8万8千円)といった激安ものも見られるいっぽうで、2000年・走行9万8千kmWRCリミテッド・エディションは18,500ユーロ(326万円)の値札が付いている。走り屋系の熱い支持がうかがえる。ノーマル仕様でも低走行距離もの(5万7千km)だと12,950ユーロ(228万円)の値段がついている。年式は2006年。19年ものである。もしくはあと3000ユーロ(52万円)出せば新車の3代めフィアット・パンダが買えることを考えると、かなり強気の値づけといえる。


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スチールホイール仕様であるが、ホイールカバーのデザインの妙で、それほどプア感を感じさせない。2025年夏。


206
といえば、ここ数年イタリアの町村部で興味深い現象がみられる。外国人労働者、とくに西アフリカ系の人々が暮らすエリアで206を頻繁に見かけるのだ。なぜかといえば、やはり彼らの出身国があろう。たとえばセネガルは1960年までフランス領であった。アフリカにおけるフランスの旧植民地ではプジョーが一般的である国が少なくない。ナイジェリアでは1970年代からプジョーの現地組立が行われていた。
 

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ある解体工場で見つけた206CC。普及車種だけに、格安パーツが容易なのも206の長所だ。


コンディションからして、彼らが乗る206の大半は、前述した中古車のなかでは手頃な価格の部類のものに違いない。なぜなら仲間とともに押し掛けをしたり、フロントフードを開けて、ああだこうだ言いながら修理している光景をよく目にするからだ。それでもしばらくすると彼らの姿は消えている。救援の陸送車が来た形跡もないから、そのたびちゃんと動いているのだろう。エンジンルームに容易に手を突っ込めないクルマが増えている昨今、アマチュア修理でもなんとかなってしまうところも206の長所なのだ。

 

異国で一生懸命働いている人たちの望郷&生活応援ヴィークルも、206の新たな役目なのである。 


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フィレンツェ旧市街で信号待ちをする206CC。2025年10月撮影。

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2002年にイタリアのチームによって制作されたCM206に憧れたインドの若者が、(ヒンドゥスタン・アンバサダー改と思われる)古いクルマの後部をぶつけて2ボックスにし… (photo:Stellantis)

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ゾウに踏ませてフロントノーズを低くし… (photo:Stellantis)

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渾身の溶接作業で206風のクルマ完成。(photo:Stellantis)

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夜の街を仲間と流す。 この作品はカンヌ広告祭でグランプリを受賞した。 (photo:Stellantis) 


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写真 大矢麻里 Mari OYAAkio Lorenzo OYA

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202476日、イタリア中部シエナ県で開催された「レジェンダリー・インターナショナルVWミーティング」で。

 

■イタリアでも熱い!

今回は、イタリアにおける空冷フォルクスワーゲン(VW)ファンたちのお話である。

 

202574日から6日、中部トスカーナ州スタッジャ・セネーゼで「レジェンダリー・インターナショナルVWミーティング」が開催された。主催は空冷系VWのファンクラブ「マッジョリーノ友の会」だ。イベントは今回で第39回。彼らによれば、イタリアで最も長く続いているVW系イベントである。Maggiolinoとは昆虫のコフキコガネを指す。英語のbeetle(カブトムシ)とは異なるが、イタリアでは長年にわたってVWビートルの愛称である。主要スポンサーは、イタリアを代表する空冷VWのパーツショップのひとつ「デイ・ケーファーサービス」が務めている。

 

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76日午前11時過ぎ、カステッリーナ・イン・キャンティのワイナリー「ラ・クローチェ」に続々と到着した参加車たち。

 

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オリーブ畑の小径を行く1303カブリオレ(手前)

 

イタリアとVWのつながりは意外に深い。その販売開始は第二次大戦終戦から6年後の1951年である。友の会のカミッロ・クローチ会長が以前筆者に語ったところによると、当初ビートルをはじめとするVW車は第二次大戦中のドイツに対するネガティヴな印象もあって、即座にヒットとはならなかった。しかしイタリア製大衆車に少し予算を上乗せするだけで、きわめて良好な品質の製品を手に入れられることから、次第に支持するユーザーが増えていった、と振り返る。2025年のイタリアにおける新車登録台数は121288台で、ブランド別ではフィアット、トヨタに次ぐ3位である。

 

ミーティングに参加できるのは空冷系VWとそのバリエーションだが、「T4」「ニュービートル」および「ザ・ビートル」も認められている。

 

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「デューン・バギー」など、さまざまなバリエーションも参加歓迎だ。ウィンドウには「NO DUNE BUGGY NO PARTY」という陽気なモットーが。

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往年のオフロード・レースにおける強者「バハ・バグ」も。

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ピットストップの場所となったワイナリー「ラ・クローチェ」で。創業3代目のシルヴィオ・ザーリさん。https://lacrocezari.it

 

主催者によると2025年大会の参加台数は158を記録。イタリア国内だけでなくスウェーデン、ベルギー、ドイツなどからの遠来組もあった。

 

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ドイツから遠来した1956年式ビートル。

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往年の感覚溢れるインテリア。おきまりの花瓶もしっかり装着されている。

 

例年どおりベースとなった町内のスポーツ施設には仮設キャンプ場が設置され、夜にはライブ演奏も行われた。また、郊外へのドライブツアーも土日両日に企画された。日曜日はキャンティ地方のツーリング。昼前の小休止スポットであるキャンティ・クラシコのワイナリー「ラ・クローチェ」で筆者が待っていると、参加車たちは空冷エンジンサウンドを周囲の山々に響かせながら次々と姿を現した。そしてさまざまなオーナーが、愛車とのつながりを熱く語ってくれた。

 

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好コンディションの「T1」キャンパー仕様。

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T2」。

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T2のピックアップ仕様。

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後席にも乗員かと思いきやビートルには、こうしたジョークが似合う。

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キャンティのワイナリーを背景に。

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トランスポーター・シリーズ史上最後に空冷エンジンが搭載された「T3」。そのウェストファリア製キャンパー仕様である。

 

■過激チューン派・スパルタン派

デニス・ザノンさんは、息子のアレッシオ君と300km離れた北部の都市ヴィチェンツァからやってきた。

 

ベースは1970年「1302LS」。ただしエンジンは「ポルシェ914」用の2リッターを2400ccに拡大・換装したものだ。「44mmキャブレター2基、可変タイミングのカムシャフト、そしてCBパフォーマンス製のコンロッドも装着しています」と説明する。それらのおかげで最高出力は約180馬力に達するという。もちろんイタリアで公道走行のホモロゲーションを取得済だ。

 

ホイールは専門業者とともに製作したというポルシェ風17インチホイール、ディスクブレーキは、これまたポルシェの944のものという。

 

アレッシオ君も手慣れた所作でビートルに接している。クルマを通じた父子水入らずの光景が微笑ましかった。「最高速度ははっきり分かりませんが、200220km/hになると思われます」とデニスさんは語る。たとえ推定でも夢が見られるクルマは素晴らしい。

 

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デニス・ザノンさんと息子のアレッシオ君、そして彼らの1970年「1302LS」改。

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ドアを開けた途端、鮮やかなスパルコ製レーシング・シートが目に飛び込んだ。

 

次に声をかけたのは、繊維産業で有名なプラトから参加したジェラルドさんである。愛車は「181」だ。第二次世界大戦中のキューベルワーゲンを祖先とし、軍用兼民間用として開発されたコンバーティブルである。

 

25年前に買って、すべて自力でリビルトしました。今は完璧な状態です」とジェラルドさんは胸を張る。181の長所は?との質問に、「滅多に故障しないことです!」と力強く答えた。

3.5リッターV8エンジン搭載の1980年レンジローバーとの2台持ち。質実剛健なクルマが大好きと自認する。

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ジェラルドさんと181

 

■モーターショーでは味わえない“温度”

その場で唯一だった「カルマン・ギア」のオーナーは、ローマ在住のマッシモ・ファラスカさんである。「1963年式です。空気力学的にビートルより優れているおかげで、最高速度は約120km/hに達し、走行安定性も良好です」と美点を語る。唯一の欠点は、旅の際に荷物スペースが小さいことと指摘する。

 

なぜVWに関心を抱いたのか?との質問にマッシモさんは「祖父がローマでガレージを営んでいて、VWはいつも身近な存在でした」と答える。さらに「兄がヴォルフスブルクのVW本社でデザイナーを務めていましたから」と説明してくれた。ちなみに兄の名前はロベルト・ファラスカ氏。VW10年在籍したあとフランスのニースにあるトヨタのデザイン拠点ED2に移籍。シニア・デザイナーとして初代「C-HR」の開発に携わっている。

 

マッシモさんは語る。「このカルマン・ギアは5年ほど前にヴェローナで発見しました。購入を決心したきっかけは、むかし祖父が働いていたガレージにあったクルマであることが偶然にも判明したためでした。引き取りは兄と一緒に行きました」

目下マッシモさんの宿題は、トランスポーター・ファン垂涎の的である23枚窓の「T1サンバ・バス」のレストアだ。

 

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マッシモさん() とエプティサムさん()1963年カルマン・ギア。

 

いっぽうステファノさんは近隣の町ポッジボンシから仲間とともに参加した。6ボルト仕様の1968年ビートルだ。イタリアにおける結婚式用車の飾りつけが施されているので、どこかに新婚カップルがいるのか?と聞くと、「いやいや。去年友達の結婚式に貸し出して以来、そのままにしておいたんだ」と事情を説明してくれた。

 

愛車のニックネームは“ダンテ”という。イタリアを代表する詩人ダンテ・アリギエーリにちなんだかと思いきや、祖父の名前だという。「彼がこれと同じ車を大切にしていたんだ」。10年前インターネットで同型車が隣町フィレンツェで売り出されているのを発見。「わずか15分で購入を決めたよ!」と振り返る。

 

「夏は車内がちょっと暑いけど」とステファノさんは正直に明かすが、前述の181オーナー、ジェラルドさん同様「とても頑丈だ。立ち往生とは無縁だね」と語る。

 

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ステファノさん()は仲間のルカさん&ディミトリさんと参加。リボンは結婚式に貸し出したときのもの。

 

渾身のチューンアップ、レストアの成果、家族の思い出。どのクルマにも、モーターショーでは味わえない人のぬくもりが宿っていた。その週末集まったビートルたちは、ただのヒストリックカーではなく、「物語を乗せて走るタイムカプセル」だったのだ。2026年、イベントは第40回の節目を迎える。ふたたび、どのようなパッションを抱いたファンと出会えるのか、今から楽しみである。

 

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最後尾は友の会で副会長を務めるアルベルトさんの愛車。リアウィンドウには「古いVWは不死身です」の文字が。



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大矢アキオ ロレンツォAkio Lorenzo OYA在イタリアジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家。音大でヴァイオリンを専攻。日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。自動車誌...
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